まずは、先週末に書いた note 記事ですが、
今ココの豊かさと、振り返った時に感じる豊かさとの違い、あるいは、未来も含めた豊かさの連続性について
https://note.com/normalsalt/n/ne4810765da72
以前、Substack で検討していた内容と比較すると、なんというか、思ったより細かい話はできませんでしたね。
まぁ、とりあえず、前提は共有できた、ということで、これからは、もっと先の話もしていくとしましょう。
ちなみに、正確を期すと、説明が難しいので、上の記事には、あえて書かなかったのですが、
一応、大雑把には、以下のように、徐々にスケールしていくイメージがあります。
「今ココ」で感じる「豊かさ」
「未来」で(振り返った時に)感じる「豊かさ」
「人生全体」に(思いを馳せた時などに)感じる「豊かさ」
一つ目は、言うまでもなく「瞬間」的なものであり、
二つ目は、なんらかの対象を思い出した時のもので、ここでは、まだ「ミクロ」に焦点を合わせていますが、
三つ目は、より「マクロ」で捉えている、といったところですね。
例えば、複数の対象の関係性や、時間の経過に伴った変遷まで含めて、その総体に対して、「豊かさ」を感じるということ。
これについても、改めて、考えを深めていきたいと思います。
ところで、次の記事を読みました。
📘この時代にAIを使わず文章を書き続ける意義
https://minerva.mamansoft.net/2026-05-24-meaning-of-writing-without-ai-in-modern-era
端的に言うと、私も、「結果」だけでなく「プロセス」も重視したいような場合には、AI を使うわけにもいかないな、と考えていたので、共感できる部分が多かったです。
『自分で調べる』という行為はなんだかんだ言っても自身の理解を強く定着させる常套手段
確かに、インスタントに摂取したものほど、すぐに流れていってしまって、あまり「栄養」にはならないものだし、
最終的に作成されるモノであり、それはユーザーとの接点となるインターフェース
自分で資料を作成する能力があり、AIの生成したものより『自己満足度』が高い
資料作成の過程で『知識の再構築』『学び』『視野の広がり』という副産物がある
満足感や「学び」が得られるかどうかについては、言うまでもなく、
文章に「魂」が宿っているかどうか、というよりも、問題なのは、それが「自分の」インターフェースになっているかどうかで、やはり、それは「プロセス」に強く依存する気がしますよね。
少なくとも、「現在の自分」を反映させたい場合には、今、自分で書く必要がある。
AIの発展により、今まで集中して取り組んできた多くの作業が一瞬で終わるようになったという事実。それは見方を変えると 『集中して長い時間何かに取り組む機会が消失している』 とも言えないだろうか。
そして、特に、集中して文章(記事)を書く時間は、個人的にも、かなり貴重になってきているかもしれません。
なんとなく、他のことよりも、長時間、集中しやすい気もしますし。
まぁ、何かに焦点を合わせて、深く考えようとする、ある種の「バイアス」が掛かっているからこそ、とも言えますが、
そうでもしないと、適当に流したり、次から次へと新しい刺激を求めて、気が散ってしまいがちです。
あるいは、自分で書きながら、深く考えてみなければ、そこに「バイアス」があることにも、気付かないままかもしれませんし、
そういった「偏り」こそが、「個性」とも呼べるものだった、ということだって、多いでしょう。
ある意味、「自分」というものを守る「防衛策」として、あえて AI を使わない領域を残しておく、といった方針とも言えます。
つまり、「自分を出す」ために、自分で文章を書く、というだけでなく、実は、「自分を維持する」ためにこそ、書く必要があるのではないか。
果たして、AI によって、仕事を奪われるどころか、その使い方によって、「自分」を失う人が増えていくのか、どうなのか。
そこまで言うと、ちょっと大袈裟かもしれませんが、一応、傾向としては、気を付けておくに越したことはなさそうですね。
特に、「人生全体」においても「プロセス」が大事だと、思うのであれば。



めちゃ共感、、、AIに任せられないことこそプロセスに意味があるって視点、読みながらうなずいてました🔥思い切ってフォローしました。一緒に協力して伸ばしていける関係求めてます。よければフォローいただきつながってください🔥得意の爆絡みでリスタックとかお互いにできたら、楽に伸ばせると思ってます!